一人一人のための道徳教育

2018年10月8日更新
ソテの顔 ソテ(28歳くらい)

そういえば、小学校とか中学校とかで、道徳っていうのが、教科っていうのになんか格上げされたらしいですね。正式には2020年頃からそうなるのかな。

サキノブの顔 サキノブ(20歳・学生)

教科っていうのになると、国語とか算数とかみたいに、なんか成績をつけるようになるんでしたっけ。どういうテストをしたりするのかなあ、どうやって評価を決めたりするのかなあ。そもそも、「道徳」って言っても、何を基準にそれが道徳的なのか道徳的じゃないのかとかってぼくはよくわからないことがよくありますけど、教える人たちはみんなそういうのをちゃんとわかってるのかなあ。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

ぼくらの考えとしては、「道徳」っていうのは、「お互いができるだけうまく協力し合えるように考えて行動すること」じゃないかなあと思うかなあ。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

この国はいわゆる法治国家なんで、法律を決めたり裁判をすることにしたりして、主なルールを決めて、それを実施してるんじゃねえかな。ただ、世の中で起こるすべてのことについて法律を決めておいたり、ささいなことでもすべて裁判をやっていくとかっていうのは、現実問題としてとても効率が悪いだろうし、法律や裁判がすべていつも完璧ということは現実的には無理なんじゃねえかな。例えば一台のテレビゲームを二人でどう遊ぶかといったこととか、ある程度のことは、お互いでその場で話し合ったりルールを決めたりしてやった方がいいことも多いんじゃねえかな。そういう、「社会の中で、法律だとか裁判だとかではないところで、お互いができるだけうまく協力し合えるように考えて行動する」っていうのが、それが「道徳」なんじゃねえかなあ。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

人それぞれ、持っている価値観とか知識とか信じるものとか置かれている立場とかが違うだろうから、お互いができるだけうまく協力し合うためには、お互いができるだけ得できるようにするには、できるだけお互いの価値観とかを理解して尊重したうえで、できるだけお互いにとって良い未来になる道を探すようにお互いが考えて行動できたらいいんじゃないかな。

サキノブの顔 サキノブ(20歳・学生)

あっ、なるほど、そういうことであれば、「道徳」って具体的にどういうものかって理解ができるし、その重要性とかもわかるかなあ。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

まあだから、ぼくらとしては、いわゆる道徳教育とかっていうものについても、「これはしちゃいけない」とか「こういう時はこうするのが常識です」とか「他人を思いやりなさい」とか「愛国心を持ちなさい」とかっていう固定的な価値観とか知識とかを無条件に押し付けようとしたり詰め込もうとしたりするんじゃなくて、まずは、「みんなが協力し合った方が、みんなが得できて、その方がみんなそれぞれ自分の人生を有意義にできるんじゃないかな」とかっていうことをみんなに提案するようにした方がいいんじゃないかなあと思うかなあ。そのうえで、「人それぞれ価値観とかが違うんで、どうしたらお互いうまく協力し合ってお互い満足できるかいつも自分たちで考えながら行動してみた方がいいんじゃないかな」とかっていうことをさらに提案していったりした方がいいんじゃないかな。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

道徳とかっていうと、なんか、「他の人のために尽くしなさい」みてえなイメージがあるかもしれねえけど、オレとしては、社会っていうのはあくまで個人個人の人生をより有意義にするためのものじゃねえかと思うから、「他人のために尽くせ」とか「社会のために犠牲になることはすばらしい」とか「愛国心」だとか「郷土を愛する心」だとかなんてことを言ったり押し付けたりするのはおかしいんじゃねえかと思うかなあ。それから、人によって価値観とかが違って何を幸せと感じるかも違うだろうと思うから、個々の価値観を考慮しねえで「こういうときはこうするのが道徳的です」とかって固定的にいうのもおかしいんじゃねえかと思うかなあ。

ソテの顔 ソテ(28歳くらい)

あっ、う〜ん、なるほど。あくまで、個人個人の価値観をまず尊重して、そのうえで、「個人個人の人生をより有意義にするために、お互い協力できるところは協力した方が得じゃないか」って合理的な提案をするっていうことですか。まあ、その方が、みんな納得しやすそうだし、自分から積極的にそうしようって思ったりもしやすそうですかね。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

ちなみに、道徳とかって、法律とかとは違って、違反した時の罰則とかが特に決まってないようなものも多いと思うし、みんなが自分から積極的に実行できるかっていうことも実際問題としてけっこう重要なんじゃないかな。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

まあ、もし、「みんなのために犠牲になりたい」とかっていう奴がいたら、そいつがそうするのは別にかまわねえと思うが、それを絶対的にすばらしいことだとかって言ったり、それと同じことを他の奴にも強要したり要求したり期待したりするようなことは良くねえんじゃねえかな。「道徳」っていう言葉を辞書で調べてみると、「人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。」とかって書いてあるけども、個人個人の価値観を無視して「他人のために尽くせ」とかって言ってたら、それ自体が、個人個人の幸せをちゃんと考えてなくて、物事の善悪をわきまえてねえんじゃねえかな。

サキノブの顔 サキノブ(20歳・学生)

う〜ん、道徳的な行動ってなんか、自分が損するように思えたり、自分より立場の強い人からの教育の言いなりになってるような感じがしたり、なんか良い子ちゃん的な感じがしてこっぱずかしかったりとかもしたんですけども、本来はそういうものじゃないっていうことですかね。そういえば、コーシ先輩とかソータローさんとかは、相手が知り合いだろうがそうでなかろうが、積極的にお互い協力し合おうとか助け合おうっていうようなことを、いつもさらりとやりますよね。押しつけがましかったり恩着せがまかったりはしないし、それを誇ったり自慢したりもしないで、さらりとやってさらりと終わる。

コーシ先輩の顔 コーシ(35歳くらい)

まあ、そうした方が自分も結局得できることになるんじゃないかなあと思ってて、自分で好んで勝手にやってるだけだからね。むしろ、「相手にとって余計なことをして迷惑にならないかな」とかっていうことの方をいつも気にするかなあ。自分だけが得するためにやってるわけじゃあないし、自己満足するためとかにやってるわけじゃあないから。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

まあちなみに、ある奴の価値観が他の連中にとってとても害になるものとかだったりしたら、そういう場合は、そいつはその社会にいられなくなったりしても仕方ねえんじゃねえかなあと思うかな。あくまで、お互い協力し合ってお互い得できるようなら、お互い協力し合った方がいいんじゃねえかなっていうことだな。


ソテの顔 ソテ(28歳くらい)

新聞だとかテレビだとかインターネットだとかのニュースで、たまに現状の道徳教育に関する記事とかあるけど、現状だと、日本政府だとか、政治家だとか、行政だとかも、道徳っていうものが具体的にどういうものでそれが本当に国民一人一人のためになるものなのかとかってよくわかってない人もかなり多そうかなあ。それから教科書とかも、事実と違うことが書いてあったり、おかしなことが書いてあるものもけっこうあるらしいなあ。

ソータローの顔 ソータロー(35歳くらい)

まあ、そんな状態で強制的に「道徳教育」っていうものが推進されてるんで、現場じゃあ、混乱も多かったり、実際問題として間違った教育も多くされることになってるんじゃねえかなあ。

サキノブの顔 サキノブ(20歳・学生)

う〜ん、そんなんだったら、やらない方がまだましだったりするんじゃないかなあ。なんかまた、「ゆとり教育」だとかっていうのの時みたいに、後になって「あの教育は失敗だった」とか言われるようになって、その教育で育った人たちが失敗作扱いされることになったりするのかなあ。それでもってそんな教育を推進した偉い立場の人たちは誰も何も責任を取らなかったりするのかなあ。なんかもうそういうのはうんざりだなあ。


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